Sunday, March 29, 2009

Enzo Mari
























3月12日に、イタリアの巨匠デザイナーEnzo MariのExhibitionが、San FranciscoのItalian Cultural Instituteで行われたので足を運んだ。Enzo Mariと言えば、日本の無印良品で販売されたテーブルなどのデザインでも知られている。Opening NightはMariご本人もいらっしゃるということで、期待に胸を膨らませていた。

展示会場はワンルームフロアの比較的こじんまりとしたスペースで、彼のデザインした有名なキッチンツールやインテリア小物、椅子、可愛らしいあの真っ赤なリンゴや黒豹のシルクスクリーンプリントなどがゆったりと展示されていた。ビビットな単色使いはイタリアモダンデザインを思わせ、傾いたトラッシュビンや、ネジをほとんど使わないのに驚く程の強度が実現されたブックシェルフなど、彼のユニークで匠な人柄が滲み出ているようだった。
終始、煙草をふかしながら佇むその姿は、この七十数年を生きて来た彼の経験とその重みを物語っていた。

感動したのは、彼のスピーチ。
いくつかの心温まるエピソードを語り、現代のデザインについて話すにつれ、だんだんと熱がこもり、「大量生産というやりかたに翻弄されてしまったマーケットは糞だ」と情熱的に憤るMariの言葉に、がつんとやられてしまった。
彼のようなデザイナーは、もはや使い捨てなのだと、彼は吐き捨てるように言った。いま現代に出回っているインテリア製品のデザインは大概コピーだ。コピーを自分のもののように、複製してそれを広めようとしている、と。



彼の目の前で話を聞く事ができ、何度か彼は私の眼を真っすぐ見るようにして話した。彼の微動だにしない視線に圧倒された。
スピーチの後、感銘を受けた私は、英語の話せない彼についていた通訳の人に頼んでいくつか質問をしにいった。
彼はもう無印もだめだと言っていた。IKEAも好きではないと言っていた。
全ての人にいいデザインを安い値段でというスローガンのもとビジネスを行っている。それを実現するため、労働経費を浮かせる為に、中国に設けた工場などで生産を行っている。全世界に店舗を拡大しようとし、outsourcingに手を出す。そうした彼らのやりかたが好きではないのだと。
良質に見えるよう仕立てられた大量生産の家具が手頃な価格で手に入る時代に生きるこのおじいちゃんデザイナーは、いささか疲れたといわんばかりであった。

考えさせられた。
戦前、戦後、そして現代。
人々のニーズに合わせて変移して行くマーケット。
デザイン、スタイル、生活品質の向上、それに伴う道徳的判断力の低下。
人々が見落とす、本当に大切なこととは。

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